仕事できない人にイライラしなくなる2つの方法【体験談も】


あなたの周りにいますか?

「仕事できないムカつくやつ」

どんな職場で、あなたがどんなに頑張っていても”やつ”は突然やってきます。

彼らはとんでもなく迷惑です。いるだけでトラブルを引き起こし、不利益を振りまきます。

本当にムカつきますよね。

なぜ腹が立つのでしょう。

どう解決したらいいのでしょうか。

イライラの原因と対処法。私の経験談も踏まえてのお話になります。

 

ネタバレ”仕事ができない彼”と”教える私”の戦いは、彼の完全勝利によって幕を下ろします。

結論から、できないやつはできない

なにもかも足りてない

必要とされる能力がすべて足りないです。

能力が足りないのか、それに至るまでの努力が足りないのか。彼らの根本はさっぱりわかりません。

わからないけど明らかになにか、いや、何もかもがたりていないのです。

できるやつはできる。できないやつはできない。

なぜ腹がたつ?ムカつきポイント4つ

あなたはなぜ仕事ができな人に腹が立つのでしょうか。

  • 周りに迷惑をかける
  • 平然としている
  • 努力をしない
  • 一回やって終わり

迷惑をかけ、ケロッとしてる

彼らには後悔の念がないのでしょうか。

先輩がミスのカバーをしていようが、同期がフォローをしていようが、後輩が困っていようがお構いなしです。

平然としている

周りが助けることがさも当たりまえかのように、平然としています。

手を差し伸べられても知らんぷり。

努力はしない

彼らは改善しようという気がありません。

助けてもらえている間はいいけど、みんなが見放したらどうするんだ!

一回やったらそれで終わり

一般的にはできないことを練習するときに、できるようになるまで練習します。

一回でできるようになる人もいれば、そうでない場合もあります。

そうでない場合のほうが多いです。だから繰り返し練習します。

できないのが悔しいから。できるようになる喜びを私たちは知っているから。

やつらは違います。

何か指摘されても気づきません。やれと言われてから動きます。

そしてやるんです。言われたことだけを。

たったの一回だけ。

なんでできるようになるまでやらないの!?

やつら、自分は仕事ができると思っている

仕事ができない人と接していて、私はある共通点を見つけました。

彼らは全員、自分はできていると思っています。

こう考えるとすべてに納得がいくのです。(悔しいけど)


私は仕事ができる。たとえミスをしようが、周りがフォローする。形になる。

自分で動かなくても周りがなんとかする。

すべて環境が解決する。

努力をする必要はない。怒られようが関係ない。

みんな忙しそうだけどなんでかわからない。

みんな仕事できないから忙しいのかな?大丈夫?手伝う?自分は優秀だから余裕だよ?


 

うわぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!

怒りで我を見失いそうです。

怒りのすべては「理解できないから」

怒りはすべてここに起因すると私は考えます。

全く理解できない。

なぜ努力しないのか。情けなくないのか。申し訳なくないのか。

私だったら、同じ状況になるのが悔しい、それを乗り越えたいと思う。

その感情がやつらにはないんですね。

ここまで相容れない生物と真剣に対話しようとすると、それなり(これがとてつもなく大きい)のストレスが発生します。

同じ経験があるかたにはご理解いただけると思います。

このどうしようもない感情。

どうにかしてあげたいけどどうにもならない。なんですかね。無力感もあり、敗北感もあり、怒りもあり。

この心のすり減り方は尋常じゃないですよね。

彼らにはこの世の摂理、森羅万象が通用しません。

無敵。やつは最強生物。あるいはそれ以上のなにか。

”やつ”をきにかけるあなたは心の優しい人

そんなことない!仕方なく!任されたからやっているんだ!
あいつなんて大っ嫌いだ!

という意見も聞こえてきそうですが、任されて、見放さないだけあなたは優しい心をもっています。

本当にどうしようもないやつであっても、手をかけてやりたくなるんです。困っていたら助けたいんです。

わかります!その気持ち!

だからどうしようもなくなってイライラしてしまうのです。

そんな優しい心を持ったあなたにこそ、私の体験談を読んでいただきたいのです!

【体験談】イライラの解消法【実践】

体験談です。

どんなに温厚な人でもキレさせる天才。無敵の生命体。そんな彼は私と同じ年に入社した同期でした。

スタートはみんな同じです。同期みんな初心者。1年もすればみんな同じように成長し、力をつけていくだろう。せっかく知り合ったこの縁だし、私はみんなと頑張りたいとおもっていました。

他の同期が着々と力をつけ、認められつつあるなか、一人だけ一年前と同じ仕事をしている彼がいました。

私は憤慨したのです。

彼の先輩はなにをしてたの?

彼はいじめられてるの?

こう思いました。

だって普通じゃありえない。あんなの一年間まともに仕事をさせてもらえなかったに違いない。

彼に教えている先輩達に半分突っかかるような形で話を聞いたのを覚えています。

「ちょっと、どういうことなんですか!!!」

先輩も私が起こっているのを見て少し不機嫌そうに

「あ?なにがだよ。」

この態度を見て私はさらに憤りました。(思い込みって怖いですね。)

しかし、よくよく話を聞けば、

先輩は確かに教えてはいる

彼の学ぶ姿勢も感じられない

ということが判明したのです。

 

 

・・・彼をどうにかしないと!

実践編です。

何としても仕事できるやつに変える

先輩の話を聞けば、確かに彼は教えてもらう姿勢が足りないよね。こうも思いました。

さらに、だからってあきらめることでもないよね?もうちょっとほかに方法ないの?とも思ったわけです。

このもやもやをなんとか解決しようと、私なりに考え、行動してみました。

やつを仕事できるやつに変えてしまおう。

「どんなにできないやつでも、成長はあるはずだ!成長すれば、できないことだってできるようになる。私だってそうだったじゃないか!」当時の私は考えていました。

できないことをできるようにする。任せられる仕事も増える。そこでできないならまた教えてやる。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

 

この言葉、ご存知でしょうか。山本五十六の名言です。私にはここに希望が見えました。

今までの経験を踏まえても、この言葉は本当に効果があります。

私自身、身が入らなかったことを先輩が動かしてくれたこともありました。やる気のない後輩、同期に対し、この言葉と同じことを試して、彼らが変わるところを見てきました。

だから、私は自信をもってこの名言を実践するわけです。

実践といっても一度でうまくいくとは思っていなかったので、さらに私なりに改良を加えました。

名言に沿って行っただけで動く相手じゃないぞ。これを三回だ!!!

名言を三倍にして実行。

そう、ここに山本百六十八の誕生です。

私なりの作戦でした。

はじめから多くは望みません。簡単なことからです。

なにもできないとみんなに言われる彼が一歩を踏み出したら、それはどんなにすごい事か。

劇的に伸びなくてもいい、彼の中でなにか少しでもつかめるものがあればいい。どんな変化があるだろうか。一緒に楽しく仕事できたらいいな。

そんな希望をもち、心を仏にして接しました。

 

結果

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやっても、やつは動かじ

私なりの対処法

完全敗北→諦め

やつをどうにかしようと孤軍奮闘した私ですが、惨敗に終わりました。

一人でどうにかしようと動き、それを冷ややかな目で見る人もいれば、応援して手助けしてくれる人もいました。

嬉しかったです。遠くに見えていた希望が着実に近づいてきました。周りの助けもあり、今まで見放されつつあった彼も徐々に評価されてきました。

少しずつ増えてきた評価に彼は満足したのでしょうか。

彼は歩みを止めたのです。

そして周囲の応援もとうとうなくなりました。

私から彼にかける熱量も、なくなりました。

私が諦めたのです。(これが私が実際に行った対処法)

諦めればイライラもなくなりました。

考察。というかあとがき。

きわめて個人的な考察です。

はじめのほうでも同じことをいいましたが、できないやつはできない。やらないやつはやらない。

そういうこともあるんだ、と。

私が彼に行ったことは間違っていました。私なりに考えて実践してみたのですが、成果はありませんでした。試して、ダメだったので、このやり方は彼に合わなかったとわかります。

私以外の誰かが同じことをすれば、彼は動くのかもしれません。でも、もう彼の周りにはそこまでエネルギーを使おうとする人もいません。

正直、私は天狗になっていました。自分ならどうにかしてやれる。そうおもっていたのです。

のびにのびきった鼻は、仕事ができない彼によってへし折られました。

いい経験です。私にとっては。私の技術不足です。教え方が悪かったのです。自分のやり方では通用しないことがあると理解しました。

彼に感謝されようとしてやっていたことではありません。彼と楽しく働きたい。そう思って動いていました。教えているという立場を利用した自己満足でもあります。

暑苦しいといわれればそれまでですし、今思えば私もそうおもいます。それが彼が動かない原因だったのかもしれません。

通用しなかったから別の方法をためそう。

そうは思えませんでした。

既に私は彼を完全に見捨てました

彼がどうなっても関係ありません。彼が私に対してなにも思わないのと同じように。

いつか彼を救う人が現れるのでしょうか。彼が彼自身で変わる日が来るのでしょうか。

 

ジェネレーションギャップ、老害ってこういうこと?

彼は彼の世界で生きていて、私は私の世界で生きています。

生きている世界が違って、見え方も全く違います。

私と彼とでは見ているものが全く違うのです。

私は彼に変わってほしい!と思って接していましたが、彼にはその気は全くありませんでした。

この話を思い返すたびに考えることがあります。

私の考えが正されるべきなのか?ということです。

私は自分の考えが正しいと思って彼を変えようとしました。周りもそれに協力しました。

彼にはそれが正しくなく、悪で、苦痛だったのか?

こう考えてもいます。

実は私の考えが凝り固まった、世間の膿そのものだったのか。(この部分って、世代のずれから生じる価値観の違いに似ているかも)

私は考え方は流動的であるのがいいと思っています。

昔のやり方が正しい。このやり方でないとだめ。

というのはあまり好きではないのです。

実は今、私はそれになっているのではないか?と感じました。

この問題に答えはないと思います。

正確には答えとして決めてしまうことがもったいないと思っています。

どちらも正しいことをいってはいるので、片方を悪としてしまうことが、残念に感じられるのです。

私は心の中で、見捨てた彼とこれからずっと過ごしていきます。

まとめ

私の主観的になってしまいましたが、仕事ができない人に腹を立てる私たちという今回のお話でした。

ひとの怒りの話は傍から見れば、面白いです。共感しながら読んでいただいた方はイライラして嫌な気持ちになってしまったかもしれません。もしそうであったなら申し訳ありません。

今回のお話のまとめです。

  • 無敵の生命体に常識など通用しない
  • 努力で彼らを変えることができるかもしれない(私は挫折した)
  • かかわらないことでイライラはなくなる

ストレスを感じないために、私は根源をシャットアウトしました。今でも彼を動かせなかったことは悔しいです。

他にこんな方法があるよ!という方がいましたらぜひコメントしていただけたら嬉しいです。

 

 

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